煌びやかなショーが懐かしいカリプソキャバレー バンコク タイ

バンコクの「カリプソ キャバレー」がニューハーフショーを終了

懐かしくもあり残念なニュースでもあります。
このニュースを見た後に久しぶりにリタイヤした元カリプソダンサーに連絡を入れてみました。彼女の知り合いの中には、すでにカリプソで10年以上現役のベテランダンサーもいて、おばさんになっている人も多いので次の就職先を探すのは難しいんじゃないか?という話でした。。。こういう職業はオプションを準備しておかないと厳しいですね。

当時の自分はアジアホテルを定宿にしてバンコクのいろいろな場所を訪れていました。サイアムスクエアまで散歩がてら歩いて行けるのとホテルの近くからボートで移動出来る利点もあってアクセスが良かったからです。そしてもう一つアジアホテルに滞在していた理由がありました。カリプソキャバレーでした。

夜中に東京からホテルに着いて、気温差が激しく喉が乾いたので近くのセブンイレブンで水を購入して外に出るとセブンイレブン専用のテーブルが設置してありました。そこで食事をしていたレディボーイのグループから流暢な日本語で声をかけられました。一緒に晩ご飯を食べませんか?と。突然のお誘いでビックリしました。声をかけられるタイミングが絶妙でした。何かのご縁かな?と。普通の人なら断るのでしょうが、騙されることを考慮しても自分でリスクをコントロールできそうだったのと、何よりも面白そうだったのでオファーを受け入れて彼女たちと遅い晩ご飯の時間を過ごしました。

5〜6人のグループでした。普通のレディーボーイとは違い華やかさがあったので職業を聞いてみるとダンサーでした。しかもカリプソキャバレーの。

ダンサーの人からチケットを安く購入できたのでショーに通いはじめました。アジアホテルの地下にカリプソがありました。いつもショーが始まる前と終わった後のロビーは観光客でいっぱいになります。早く受付をすると目の前でダンサーが踊っている席が取れました。1番前の席なのでショーの最中に絡まれたりステージに上げられたりします。なるべく目立ちたくなかったのでいつもハラハラしていました。たまに日本からバンコクに行くのを知らせないでこっそりとショーを観に行くと気がついたダンサーたちに突然ステージに上げられて無理やり踊らされました。こうなると拷問です。

ダンスの練習とメークが始まる前の16〜17時の間に軽い夕食?(朝食)を皆さんと一緒に食べて過ごしていました。で、食後にタイマッサージ。からの21時くらいにはじまる後半の方のショーを観て、ショーが終わる夜22時過ぎにチムチュムやクイッティオを食べに行きました。郊外のディスコやチェンマイのニューハーフショーにも一緒に行きました。(彼女たちはキャバレーを転々としているのでいろいろなエリアに散ります。で、コネクションがあちこちにできます。) 化粧をしている状態と化粧を取った状態では全く印象が違うのでロビーにいた観光客の人はカリプソのダンサーの人だと全く気がついていない感じでした。それがまた見ていて楽しかったです。で、食事が終わって部屋に戻るのは夜中の2時過ぎ。

グループの違うダンサー同士の仲違いなども見れて、普段はプラスチックの仮面のようなメークで澄ましているのに、その時は感情むき出しでなんだか人間くさかったりします。バンコク滞在生活でいつの間にかカリプソダンサーの人達と過ごすのがルーチンになっていました。一緒にいると、なんとなく居心地が良かったからです。

そして食事中に彼女たちの写真を撮るのも日課になっていました。普通の旅行者が撮っている写真とはだいぶ違った写真が撮れて面白かったからです。観光地なんて行かずにそんな写真ばっかり撮っていた時期でした。メークの有無もあると思うのですが普段生活している時の顔とショーのときに見せる顔や雰囲気が全く違うんです。若い時と歳をへた時のビフォーアフターをビデオで撮りおきして映像作品に出来ないかな?とも考えていました。

夜になると食事を共にする人がさらに増えて常に入れ替わって7〜10人くらいのグループになっているので名前を覚えるのが大変でした。彼女たちの中でメガネをかけている人は自動的にのび太というあだ名がつきます。容姿が可愛いと静香。意地悪な人はスネ夫。ジャイアンやジャイ子は言うまでもないです。まるで中学生のようでした。

今でもそうかもしれませんが、その当時の日本の環境はLGBTに対して全く寛容ではなかったです。戻ってバンコクで体験した話を職場ですると全く理解されなかったんです。よからぬ噂をされたり同僚から距離を置かれたりしました。その時に学んだことは、どんなに面白い経験をしても会社ではこの手の話をしたらダメだなと。。職場環境にもよるのですが日本では何故か集団で異物を排除しようとする同調圧力が強いからです。

タイでももちろん差別はあります。今はどうかわからないのですが、レディーボーイはわりと貧しいところの出身だったりします。女性として振る舞う方が身入りが良かったりするので職業としてレディーボーイを選んだりします。彼女たちと一緒に食事に行ったレストランでも店主があからさまに嫌な顔をして罵声を浴びせたりします。(実際に現場にいてそれを目の当たりにしてショックを受けました。) 一方で、タイの職場では普通にレディボーイが働いていたりします。しかも困っていたら助けてくれるし凄く親切でした。日本の環境が保守的で古臭くさえ思えました。LGBTに寛容な環境であるほうが自分にとっては居心地が良いなと。。カリプソキャバレーはそんなことを気づかせてくれた場所でもありました。

キャバレーが移転するという話をダンサーから聞いて、しばらくして本当にアジアティーク・ザ・リバーフロントに移転してしまいました。リバーサイドの劇場はアクセスが悪すぎて1度も訪れたことがありません。ホテルの部屋からホテルの地下にあるカリプソに5分で行けてたのでBTSや船を乗り継いだりタクシーで移動するのが面倒くさくて全く行く気がしませんでした。あんなに良く行ったカリプソは自分の中では移転とともに自然消滅しました。ローカルな雰囲気から観光客向けにアップデートして遠い存在になったというのもあります。そしてダンサーの入れ替わりも激しくて知り合いがあっと言う間にいなくなってしまうというのもありました。

完全に遠ざかっていたラチャテウィーエリアですがロックダウンが解除されてからの6月に懐かしさも手伝って久しぶりに訪れてみました。アジアホテル周辺は開発とともに雰囲気が少し変わっていました。良く通っていたマッサージ屋やビルごとレストランがなくなっていました。ホテルも工事中。様変わりしていました。ここバンコクでも永遠に続くものは何もなくて、いろいろなものが泡のように消えてなくなっていきます。時の流れは本当に残酷です。